■映像
この映像にコメントしたヤンキースファンと思われる英語コメントをまとめたのでご覧ください。(引用翻訳元 facebook1)
以下、海外の反応
私はそのときスタジアムにいたよ。凍えるほど寒かったけど、この瞬間はみんなが暖かくなったんだ!そこからゴジラブームが始まった。ヒデキ、素晴らしい思い出をありがとう。
私にとってオールドスタジアム開幕戦で観戦できたのはあの試合が最初で唯一だった。そのときに打ってくれたのが松井!
この本拠地開幕戦はヤンキースファンとしての最高の思い出のひとつ。スタジアムの誰もが「マツイ!」と叫んでいた。
この日は残酷なほど寒かったのを覚えているけど、この瞬間は観戦者全員にとって素晴らしい瞬間だった!
彼は完全なプロフェッショナル。いつも大舞台のために準備ができていた。もしも彼が1990年代のうちにチームに加わっていたら、もっと活躍できただろう。
ヤンキースの選手としては史上最も過小評価されていた一人。守備でもめったにミスをせず、 2009年ワールドシリーズで勝利したときにはクラッチヒッターだった。思い出をありがとう、松井!
今までで一番好きなヤンキースの一人。ワールドシリーズ優勝の立役者である彼を、別の契約で報いてあげればよかったのに。左翼手として常にベストを尽くしてくれて、怪我をしたことを謝った唯一の男はいつも頼りになる。 ニューヨーク市にはずっと松井の家があり住み続けている。 ヤンキースタジアムはいつでも彼を歓迎するし、私たちファンは彼が戻ってくるのを楽しみにしているよ。
松井秀喜は日本のスーパースターだった。彼は、世界で最高の選手と競争してニューヨーク・ヤンキースの一員になりたかったことを除けば、故郷を離れてここに来る理由がなかったはずだ。彼の活躍で私達に喜びを与えてくれた!松井は私にとって彼はお気に入り選手の一人だ。
ゴジラは日本では抜きん出た存在、そしてニューヨークでは素晴らしいチームメイトであり偉大な選手だった。
松井は間違いなく03年-09年の間、ヤンキースの縁の下の力持ちだった。彼はチームの方針に忠実に従い、怪我をしたときでも、そのことについてしばしば謝罪していた。彼は間違いなくピンストライプスとしての地位を得た。
↑ 彼が怪我をしたことを何度か謝ったことをいつも覚えている。そんな人、他にいる?ヤンキースは、2009年シーズン後に彼を放出するべきではなかった。
膝の善し悪しに関わらず、エンゼルスとアストロズでの彼は、生産性の高い打撃を放っていた。出場機会が減っていたにも関わらずだ。そして、ヤンキースは彼の代わりに誰と署名したんだっけ?(翌年故障でほとんど出場できなかった)ニック・ジョンソンだよね・・・.松井秀喜、彼こそが真のヤンキース選手であり究極のプロ選手だ。
2009年に松井がワールドシリーズでMVPを獲得したとき、どれほど重要な活躍をしたかは、いつも思い出すようにしておこう!
これぞ最高のハイライトの瞬間!松井はチームにとって重要な資産だった。
彼がいなければ、チャンピオンシップは1つ減っていただろう。それは議論の余地のない紛れもない事実である。
松井は野球選手がどうあるべきかの縮図だった. 彼は記録的には最高の選手ではなかったが、選手が何をすべきか、どうプレーするべきかを示してくれた。彼は決して不満を言わなかった。チームやチームメイトに怒ることもなく、審判からひどい判定をされたときでも同じように不満は言わなかった。彼は自分の仕事をすることに徹していた。
そして、彼が一人でフィラデルフィアを破壊した2009年ワールドシリーズのことは決して忘れない。
ありがとう、ゴジラ!
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